活発だった幼少時代
僕は宮城県仙台市に生まれました。
歯科医師である父と、元客室乗務員である母のもと、すくすくと育ちました。自慢の両親です。
自然が多い環境で山や川が近かったため、よく連れて行ってもらい遊んだものです。しょっちゅうケガもしてました。ご近所や町内会との交流もあり道で会えば挨拶をかわすような地域でした。今回この地にクリニックをオープンしたのも、私の育った“人情がある地域”という環境に似ていたからかもしれません。
僕は宮城県仙台市に生まれました。
歯科医師である父と、元客室乗務員である母のもと、すくすくと育ちました。自慢の両親です。
自然が多い環境で山や川が近かったため、よく連れて行ってもらい遊んだものです。しょっちゅうケガもしてました。ご近所や町内会との交流もあり道で会えば挨拶をかわすような地域でした。今回この地にクリニックをオープンしたのも、私の育った“人情がある地域”という環境に似ていたからかもしれません。
小学校の4年生から仲間たちとサッカーのスポーツ少年団に入り、中学校3年生までサッカーに没頭する日々を送りました。スポーツ少年団は宮城県で2位になるほどのチームになり、中学校の部活はスパルタな顧問の先生のもと、仲間と切磋琢磨し仙台の強豪チームになることができました。エネルギーをすべてサッカーに捧げたせいか反抗期がなかったと母は申しております。
高校のときは、小学校の時に玉置浩二に影響を受けてはじめたギターが派生して友人とのバンド練習に注力していました。いまでも安全地帯や玉置浩二の曲を聴いて心を整えています。
高校3年生になり大学受験、物理・化学の教科が好きだったので特になりたい仕事はなかったのですが難関大学の建築学科を受験し不合格。いまとなると、その不合格が人生について考える時間をくれたと思っています。浪人時代のある晩、普段は仕事で忙しく家庭にいない、一度も歯医者について語らなかった父が初めて歯科医師の仕事の魅力について語ってくれました。口下手で寡黙な父の熱弁に影響を受け、歯医者になりたいという気持ちが芽生えました。
大学時代6年間は学業、部活、アルバイトと充実した学生生活を送りました。
この時に上京し一人暮らしを始め、炊事、洗濯、掃除などを毎日続けることの難しさを知ったと共に母のありがたさをつくづく実感したのを覚えています。アルバイトでは居酒屋やホテルのボーイなどを経験しましたが4年間続けたお弁当の配達のアルバイトでは雨風の中、配達をするというなかで忍耐の精神を学びました。
大学の部活では軽音部に所属し、音楽やお酒を通して多くの先輩、仲間と時間を過ごしました。
その後、国家試験に合格し研修医となりましたが、東北大学病院で研修中に3.11東日本大震災にあい、ライフラインが絶たれた生活を2週間経験することとなりました。その間、救急センターでの補助活動や検死、食料を病院スタッフへ仕分け・運搬など一般歯科とはかけ離れた仕事も経験することになりました。いまでもあのころの映像や気持ちは忘れられません。
その後、都内にて様々なクリニックにお世話になり、一般歯科はもちろん、矯正歯科も学ばせていただきました。この勤務させていただいたクリニックのなかの1つの医院で妻と出会うことになりました。
勤務医時代の途中で、将来じぶんで病院をかまえたいと考えはじめた頃、他にもう一つの熱い気持ちが芽生えてしまいました。“英語での国際交流”です。もともと英語の勉強が好きでしたが、大学に入ってからめっきり勉強することから遠ざかっていたので、ほぼ英語の能力はゼロになっていました。仕事をしながら自主学習や塾なども考えましたが、やるなら徹底的にやりたいと思い、仕事を辞めワーキングホリデーのビザでオーストラリアにいきました。
そこでは語学学校に通い、英語を学びながら様々な国籍の仲間と交流することができました。語学学校を卒業した後は、カーウォッシュの仕事に就き、そこでも多くの仲間と苦楽を共にしました。その間ずっと共同生活をしていたブラジル人とも今でも交流しています。
これらオーストラリアの経験、仲間は僕の人生の宝です。
以上、簡単ではございますが 奥戸いろは歯科・矯正歯科 細谷京平の歴史です。
歯科医療では患者さまのためになるよう知識・技術の研鑽を積み続けることはもちろんですが、いままでの色々な経験を活かし、広い視野、広いココロで患者さま、従業員の方々、当院に携わっていただく各業者の方々、家族のために身を捧げていきたいと思っております。
私は、歯医者さんが好きで歯医者さんになりました。
歯科医師になって、患者さんに「歯医者さんは恐くて嫌いなんです。」と、こんなにも言われるとは思ってませんでした。
小さい頃から、甘いものが大好きで、言うのも恥ずかしいくらい虫歯が沢山ありました。母によれば、歯医者さんで始めは恐くて泣いて大暴れしたそうです。でも、通っていた内田歯科医院の先生や皆さんが優しく、すぐに慣れて楽しく通うようになったそうです。なので、私は楽しく通ってた記憶しかありません。
高校生になり、進路に迷っていた私に、姉が「歯医者さんが好きなんだから、歯医者さんになったらどう」と、アドバイスをくれました。このアドバイスがなければ、この道に進んでいなかったんじゃないかと思うので、姉には感謝しています^^
こんなに歯医者さんになって嫌いと言われるとは思っていませんでした笑
治療を進めていき歯医者さん恐くなくなったよ、ありがとう!と言ってもらえたときには、とっても嬉しかったです。患者さんの不安を少なくできるよう、診療していきます。少しでも、不安なことがあったら声をかけてくださいね!
Life + Smile
患者様の口腔内の痛みや不安を解消するだけではなく、
患者様の人生に笑顔を提供できるような診療を提供していきます。
口腔内における診療を通じて患者さん、携わるスタッフの人生に笑顔をコミットしてまいります。診療を受けていただいた患者さんに来てよかったと思われる歯科医院、そしてスタッフに働いて良かったと思われる歯科医院を目指しています。
地域に貢献できるよう、なんでもできる歯科医師を目指しております。特に得意だという治療はありませんが苦手な治療もありません。日々、アップデートを心がけておりますが、自分の治療可能な範囲外の分野は積極的に専門分野の先生にゆだね、患者さんの有益になるよう努めてまいります。
病気には必ず原因があるという”病因論”に準じ、原因をつきとめ治療していくために診査・診断に基づき治療を進めるように心がけております。治療を開始する前には患者さんが有益になるよう診査・診断を十分行いベストな治療プランを提案し、患者さんの意向に沿って治療計画を立てていきことでゴールを明確にして治療に入るようにしています。
また永続的に各患者さんとお付き合いしていくために、資料や情報の採取・保存に努めていきたいと思っております。